2019年7月30日、日本競馬界が誇る名馬「ディープインパクト」が死んだという一報が日本を駆け巡りました。
ディープインパクトは北海道・安平町の社台スタリオンステーションで、種牡馬として第二の人生を歩んでいたのですが・・・
頚椎骨折による起立不能のため、安楽死処置されてしまったのです。
多くのファンは悲しみに暮れましたが、SNSには一部こんなコメントも。
「ディープインパクトも馬刺しにされてしまったか」
確かに、引退後に馬刺しにされる運命を歩んだ競走馬もいます。
では実際、ディープインパクトはどうなったのでしょうか・・・
そこで今回は、「ディープインパクトは馬刺しになったのか?」詳しくまとめました。
安楽死後のディープインパクトの行方
結論から言うと、ディープインパクトは馬刺しになっていません。
ディープインパクトのように怪我などで「予後不良」と診断された競走馬は、薬殺による安楽死処置を施されます。
そして、薬殺処置をされた馬は、馬肉として市場には出回らないのです。
薬で殺した馬を、食用にはできませんからね。
さらに、ディープインパクトは薬殺後に病理解剖されているという事実があります。
よって、「ディープインパクトが馬刺しになった」というのはデマです。
競走馬の骨折=死?
「たかが骨折で馬を殺すなんて、可哀想!」
競走馬の安楽死が報道されると、このような意見が多く上がります。
「人が楽しむ為だけに走っているのに、怪我をして使えないからと殺すのか」と・・・
そう思ってしまう気持ちも、わかります。
しかし、馬が立つことができないと様々な問題が身体に起こります。
馬が立てないと起こる事
- 血液循環ができず脚先などが壊死する
- 残りの脚に負担がかかる
- 負担により他の病気を発症する
いずれにしても、非常に強い痛みを伴います。
そして、馬は痛みに悶え、餌を食べる気力もなく、苦しみ続けて衰弱死します。
馬の安楽死処置とは、馬の苦しみを最小限にするための苦渋の決断。
非常に複雑な気持ちではありますが・・・現状はこれが最善なのです。
ただ、骨折してもレースに復帰している馬もいるので骨折=死とは限りません。
軽い骨折程度で、自分で体を支えられるのであれば回復する可能性もあるのです。
競走馬の運命を変えた【ハマノパレード事件】とは
過去に「ハマノパレード」という競走馬がいました。
ディープインパクトほどの強さはなかったものの、1973年宝塚記念ではG1優勝しています。
しかし、ハマノパレードが日本競馬史に強く名を刻んだ理由は、レースを降りた後の出来事でした。
その事件が起きたのは、1973年6月の高松宮杯。
レースでトップを走っていたハマノパレードが、最後の直線で転倒。
途中棄権の後、脚関節の脱臼と粉砕骨折による予後不良と診断されました。
現在は、その後の苦しみを少しでも軽くする為に安楽死されるのですが・・・
ハマノパレードは診断後、そのまま屠殺場へと運ばれ、翌朝屠殺されたのです。
【さくら肉「本日締め400キロ」】
これがレース翌日、馬肉として市場に並んだハマノパレードの姿でした。
骨折の痛みに苦しみながら屠殺場で過ごした一晩は、どれほど不安で辛かったことでしょう。
当時は競走馬を食用にする事を禁止していませんでしたが、新聞に大きく取り上げられた為に競馬ファンからは猛烈な批判が出ました。
そして、この事件をきっかけにレースで故障した馬に対する処置が見直され、現在の安楽死処置に至ったのです。
辛く悲しい事件でしたが、ハマノパレード1頭の運命が、その後の大勢の馬の運命を変えたのです。
もし、このハマノパレード事件が明るみに出ていなかったら・・・
ディープインパクトが馬刺しとなって、市場に並んだ未来もあったのかもしれません。
まとめ
結論として、ディープインパクトは馬刺しや馬肉にはなっていません。
苦しみを少しでも減らすために、薬殺による安楽死となりました。
ちなみに、社台スタリオンステーションではディープインパクトの墓参りができます。
ディープインパクトだけでなく、キングカメハメハやトウカイテイオーなどの名馬も一緒に眠っています。
墓参りの上に、名馬たちが最期を過ごした景色を実際に見に行けるなんて・・・
なんだか、色々な想いを馳せてしまいそうですね。